酵素メイン画面
| ここにジャーナリスト宮本惇夫氏が書いた 「酵素に憑かれた男 ミヤトウ野草研究所会長・近藤尭」というのがあります。 その文面を引用して、紹介いたします。 新潟県は妙高高原の川麓に当たる新井市。 冬ともなれば赤倉スキー場へのスキー客で賑わう風光明美な 山岳地帯でもある。 その新井市に「株式会社ミヤトウ野草研究所」がある。 妙高高原に自生する野草を原料に酵素を作るメーカーで、 いま専門家の間で密かに注目されているメーカーでもある。 その酵素の研究者であり創業者でもあるのが、会長の近藤尭氏。 彼は昭和二四年から、この酵素に取り憑かれて研究を 重ねてきた人物だ。 やっといまそれが実を結ぴつつある。 私はこの九月(1998年)、その工場を見学する機会を得た。 バラッグ建てのお世辞にも立派な工場とはいえないが、 近藤会長の酵素一筋にかける情熱と執念を垣間見た。 酵素といってもそれを簡単に説明するのは難しい。 最近は一種のブームの様相を呈し、医薬品、健康食品、歯磨き、 基礎化粧品、洗剤や芳香剤など私たちの身近なところで 盛んに便われている。 専門的には蛋自質の一種で、 二○種類のアミノ酸が 複雑に組み合わさった高分子である。 単細胞の細菌から動植物に至るまで、あらゆる生命体に必ず存在し、 あたかも生き物のように、必要に応しその生命体を支える働きをする。 例えば人体でおなじみなのは消化酵素。 デンプンは唾液などに含まれる酵素アミラーゼによって糖質 (グルコース)に、蛋自質は胃液中のペブシンをはじめとする 蛋白質分解酵素プロテアーゼによってアミノ酸に、脂肪は リパーぜ酵素によりグリセリンと脂肪酸に、それぞれ分解される。 いわば人体内で展開される化学反応の触媒役を果たしている のが酵素ともいえる。 生命体からこの酵素を取り出し、食品工業、医葉品工業、化学工業、 環境保全などに利用しようというのが発酵工学で、微生物を使って その抽出精製が行われている。 自然界の微生物から酵素すなわち有用菌を分離し培養するのが その方法である。 近藤氏は半世紀に渡ってその酵素研究に取り組んできた人物で、 いまだ日夜研究を続けている。 「いま世の中に出ている酵素は自分のものを含め、本物はありません。 精々七○点ぐらいのものです」と近藤氏はいう。これには注釈がいる。 それはどこまでも技術者という立場からの見方で、消費者に不十分 な商品を提供しているということでは決してない。 技術者というものは一○○点満点、完全をめざすもので、 その見方からすればまだ七○点に過ぎないという意味である。 それほど酵素研究は奥が深いという意味でもある。 近藤氏は昭和六年、新井市の生まれ。家は豪農で戦前は 多くの田畑をもち、小作を使って裕福に暮らしていたという。 それが戦後の農地解放で二町一反歩にまで減らされ、さらに 酵素研究の過程で切り売り、現在は七反歩を残すのみという。 学校は旧制の新潟県立高田農商学校(現高田農業高校)を 一三年に卒業した。 微生物に興味を覚えたのはその農商学校時代の教師の一言からだった。 「顕微鏡を使って微生物の観察をしているとき、教師はいうわけです。 これから人間が必ず月へ行く時代がやってくる。 その時、いまのような食事を月へ持って行くことはできない。 微生物を使って持ち運びに便利な食事を作り、また人間が排泄したもの を、さらに微生物を使って食べられるようにする。 そんな時代がくるという話を聞いて 、徹生物に魅せられた」その後、微生物の研究を目ざして 盛岡大学へ進んだが、父親の戦死でまもなく帰郷、恩師の紹介 で県に入り、県職員の身分のまま国立大宮家畜研究所 に派遣されることになった。 「好きなことなんでもやっていいというので、材木を切り微生物 を使って酒を造ったり、好きなことをやっていた」と近藤氏はいう。 二四年四月、県に戻り食糧増産のために家畜用菌耐肥料を作る ことになったが、ほどなくして配合肥料が出現、彼の研究プロジェクト は中止になった。 そこで彼は辞表を提出、家に戻って農業の傍ら酵素の研究を 始めるわけである。 それが昭和二四年五月のこと。 実家の納屋にこもり、当初は研究所時代の経験を生かし、 家音の飼料を研究した。 その研究ぶりは周囲から奇人扱いされた。 試行錯誤の結果、廃物のデンプンかすなどを利用した酵素配合 飼料を開発、大変好評を得た。これで有てた家畜は高品質の 祈り紙がついたという。 これに勢いを得て次に着目したのは野草である。 妙高高原は野草の宝庫、その野草を使い人体に有用な 酵素が作り出せないかと考えたわけである。 山から土を採取、そこから土壌菌を取り出し培養、さまざまな 菌と組み合わせる。 そうやって人体に有用な酵素を作り出す。 人体に有用な酵素を作り出すには、加熟消毒に耐えられる菌 でなければならない。 その熱に強い菌を探し出すのが最大の課題だった。 毎日毎日、顕徴鏡を眺め暮らす日々が続く。その間、ざまざまな 事故が彼を襲った。 その一つは爆発事故。酵素は発酵の過程でアルコールを発する。 ある日、酵素をつめたビンが爆発、彼は右手指二本を失った。 また当時はお金にならない酵素など、研究している大学や 研究機関はほとんどなかった。 研究に行き詰まっても誰も教えてくれる人はいない。 すべて一人で研究するしかなかった。 昭和三四年、やっと野草酵素原液第一号の開発に成功した。 簡単に野草酵素の作り方を説明すれば−。 まず無農薬有機野菜や呆物をスライスしたものに、乳酸菌や 酵母菌、土壌菌、放線菌、糸状菌など五二種類の有用菌を加え、 モロミを作り、約一力月ほど寝かせる。 これを絞って原液を取り出し、さらに1−2カ月寝かせる。 この原液に、乾燥させた野草、薬草を煮出したエキスを加え、 六力月から八力月発酵させる。 さらに六力月ほど熟成ざせて出来上がったのが野草酵素というわけだ。 ただ法律で生のまま原液を出荷することは許されていない。 そこで八○度以上の加熱処理をしてから出荷するわけだが、 熱に強い菌でなければならない理由はそこにある。 原液開発には成功したが、その後の歩みが順調だったわけではない。 それから四、五年はどして最大の協力者であった母親が 胃がんで倒れた。 医者は数力月の命と見放したというが、「自分の母親も救え ないようでは、なんとための酵素研究だったかわからない」 と思った彼は、母親に酸素を欲ませ続けた。 その結果、その後、三五年間、母親は生き続けたという。 また毎日一升酒を欲むような大酒欲みの彼は、それがたた って四二歳のときに脳血栓で倒れた。 脚を引き摺り杖を便って歩くほどの病状だった。 リハビリが終わり二年ほど経ってから、彼は、〃酵素療法〃を始めた。 二○日間ほど絶食をして酵素だけを飲む。 「人に勧めて自分でやらない法はないじゃないかと思って始めた」 と彼はいう。 その酵素絶食を二年間で七回ほど繰り返しているうちに、 まず左脚から感覚が回復し、 現在多少の言語障害は残るが、新潟から東京まで車で来る ことかできるようにまでなったという。 「酵素をのんだからといってがんが治るとはいいません。 がんにもさまざまな症例があっ、 個人差もある。治る場合もあるし治らないケースもある。 ただこれまで六○○人以上の相談を受けている。 その時いうのは酵素だけじゃなく、他のものも一緒にのんで下さいとい うことです。私が今日まで研究を続けてこれたのも、すべて お客ざんのおかげ。 お客さんの喜ぴの声、励ましがあったからこそです」 酵素というものは人体の不要なものを排出し、自然治癒力を 高める要素をもっている。 それがもてはやざれているというのも、それだけ人間社会が 文明に汚染されているということだろう。 昭和五九年、正式に「ミヤトウ野草研究所」として会社組織 となったが、これまでは赤字続きで、やっと今年から 黒字基調になってきたという。 |
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